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特集記事アーカイヴ Issue 2004.9-10

声が響いているということ自体の不思議さ 〜ドイツと日本での朗読〜

text: 多和田葉子 Yoko Tawada

観客を前に声を出して自作の詩を朗読するというのは、まずいことでもある。「これが自分です。詩を書いたわたし自身が自分自身の声で詩を朗読しているのです」というような本当らしさが出て来てしまう。この自分というのはなんとも臭い。詩は一度書いてしまったら後は他人の関係だから、自分などというものを持ち出すのは場違い。それに、自分自身の声というのもあやしい。自分の声とは何ぞや。声は常に身体の外の大気の震えであり、その震えも外から来たものかもしれないし、第一、霊が乗り移ってわたしの身体を借りてしゃべっているだけかもしれない。だからまず、舞台にあがったら、あれあれ自分というものが飛んでいっていなくなってしまったあ、という気持ちになることが大切だろうと思っている。身体がからっぽになって、目ばかりぎらぎらして、座敷き童子のように舞台にすわっている詩人。
朗読のために舞台に上がるのはいいが、そうすると頼るものは読もうとして持って来たテキストしかない。だから字をじっと睨む。この瞬間、自分は文盲ではないか、と思うことが多い。目の前に変な虫が並んでいる。それは漢字と呼ばれるものかもしれないし、アルファベットかもしれない。とにかく脚の伸びた触覚のある変な虫の行列で、それが声に化けるとは思えない。文字から声への飛躍には想像を超えたものがある。

朗読会に呼ばれて、舞台に上がって自分の本を開いてみると、それがなぜかスペイン語で書かれている。これはわたしが実際に何度か見た夢である。スペイン語なんかできないのにどうして自分はスペイン語で詩を書いてしまったのだろう、と後悔するが、「こうかいさきにたたず」で、もう後には引けない。どうにかゴマカスしかない。そこで、こうではないかと思われる適当な発音で、自分なりに節をつけて、もうやけっぱちになって歌うようにして読んでいく。そのうちに上手く言葉ができて、流れに乗っていけることもある。なぜそれがスペイン語なのかという謎については、エッセイ集「エクソフォニー」にくわしく書いたので、ここでは繰り返さない。
幸いにして、自分の本を開けたらスペイン語で書かれていたということはこれまでなかった。バルセロナで朗読した時さえ、わたしの詩は変身しないで、日本語かドイツ語のままだった。それでも、文字が読めないかもしれないという不安は消えない。それはわたしの詩集が三冊とも和独二か国語版であることとも関係あるかもしれない。二か国語であるということは、二つの言語の合間の谷をどこまでも落ちていってしまう危険といっしょに生きているということでもあるのだ。

1982年、ドイツに渡って初めの頃、詩をたくさん書いた。わたしはそれまでは小説を書いていたのだけれども、ドイツに着いて、日本語の分かる人がまわりにひとりもいなくなってしまうと、それまで小説らしいと思っていた小説の流れなどというものは無意味に感じられた。詩を書くしかない、詩を書かずにはいられない、という気になった。もちろん日本語である。そして、本を出すと、すぐに朗読会をするはめになった。それはドイツでは特別なことではなく、本を出せばみんな朗読会をすることになっていて、小説家でも朗読するし、なんと推理小説の部分朗読などというものもあるくらいだから、物書きにとっては逃れられない運命だったのだ。初めは自分が日本語で書いた詩を日本語で朗読して、ドイツ語は訳者のペーター・ペルトナーに読んでもらうという朗読形式だった。そのうちドイツ語訳も自分で朗読するようになり、それから自分でドイツ語も書くようになっていった。

日本語の理解できる人など、ドイツの観客の中にはほとんどいない。そういう空気の中で読んでいると、意味を忘れて、声が響いているということ自体の不思議さに改めて気がつく。自分の書いた日本語だから意味が分からないはずはないのだけれど、分からない人たちの耳にかこまれていると、つられて、意味が分からなくなる。
意味を抜きにした言語というのは、ずいぶんと奇妙な演劇である。自分でも、変だ、変だ、と思いながら朗読していく。だって、こんな風に口をまるくあけたり、頬をつっぱったり、舌を口の中でぴちゃぴちゃさせたり、息を摩擦させたり、いろいろな、技にもならないような技を重ねて、変な音を出して、それで何だというのだ。でも、意味が消えて物理的現象になった言語には滑稽なほど感動的な響きがあった。
朗読を聞いている人たちは、次にどんな言葉が来るのか知らない。だから、わたしの口をじっと見つめて、そのから出てくるものを待っている。わたしが言葉を吐くと、それが、鳥のように空間に出て、ぽこっとイメージが湧く。そんな時は、手品のようだと思う。ゆっくりと出すと、イメージはゆっくり湧く。間を置けば、その間にイメージが薄れて消えてしまうこともあるし、勝手にふくらんでいくこともある。「間(ま)」が「場」になる。

初めて出した詩集の題名は、「あなたのいるところだけなにもない」。この詩集に「女に花束を送るな」という箇所があるが、これを朗読した時に、花屋をしている人が聞きに来ていて深刻な顔で「どうして女に花束を送ってはいけないのですか」と聞かれてしまった。詩をメタファーとしてでなく言葉どおりに採ってほしいというわたしの願いは見事にかなえられたのである。
朗読会は公の場であるから、詩人の身体はあらゆる視線や質問にさらされる。「詩を書く時には麻薬をのむんですか?」と深刻な顔をして尋ねる高校生もいる。雨宿りのつもりで入場料無料の公共図書館での朗読会に入って居眠りを始めた浮浪者の鼾がうるさくて、読みにくかったこともある。でも、他の観客は彼を追い出さなかった。そのおかげで、朗読の空間は詩を聞きたい人だけの狭い空間から、みんなのいる空間に広がったと言えるかもしれない。
日本では、作家に質疑応答をする場合、あらかじめ質問を紙に書いてもらって司会者が中から選んで読んだりすることがある。失礼があってはいけないので、と言って、作者を守ってくれる。ドイツではその場で直接思いついたことを誰でも発言できる。詩人にとっては危険なことでもある。大きな賞をとった「地位のある」詩人でも朗読の後、「あなたの詩は聞いていて全く詩的ではないと感じてしまうんですけれど」などと若い子に噛み付かれる場合がある。身をさらすということが朗読会の場に出るということなのかもしれない。

第二詩集は日本語にすると「ヨーロッパの始まるところ」という意味の題で、さっき書き忘れたが、第一詩集と同じく、詩と短編小説が混ざっていて、やはり日独二か国語。詩と小説を一つの本の中に押し込めるというのは、日本だけではなくドイツでも普通やらないことだが、わたしにとっては、詩と小説をきっぱりと分ける境界線はなく、むしろ両者が混在しているのが自然な状態だと感じる。もう少し具体的に言えば、いくら筋のある長い小説であっても、言葉そのものへの関心がなければ、言葉そのものからの発想がなければつまらない、と思っている。だから、小説でも朗読される意味がある。

これまで550回くらい朗読会をやったが、ドイツがほとんどで、日本ではあまりやったことがない。3年くらい前からジャズピアニストの高瀬アキさんといっしょに音と言葉のパフォーマンスを始めた。これもドイツが中心だが、日本語もドイツ語も分からない人々のたくさん住むフランスやアメリカでも公演した。ふたりで公演する場合、音は朗読の伴奏ではなく、それぞれが独立し、交わったり離れたりしながら進んで行く。
今年は、日本では、チェーホフ演劇祭の一環としてシアターカイで公演する。チェーホフは昔から好きで3年ほど前にも挑戦したが、彼の戯曲をお芝居としてやるというのではなく、演劇とはまた別の形でチェーホフを舞台に乗せることはできないかと思って取り組み始めた。チェーホフを読んで触発されたものを自分なりに追って行くこともあるし、チェーホフの亡霊と対話して聞いてみたかったことを聞くこともあるし、彼の言葉の中の音楽性を探すこともあるし、または彼の同時代のロシアの作曲家たちの音を文学をとりまく背景として見つめ直してみることもあるだろうと思う。コンサートと演劇と研究発表と漫才がいっしょになったようなものかもしれない。
つまり、朗読といっても、できあがったテキストを模範的に読み聞かせるというのとはかけ離れたパフォーマンスで、言葉の動く空間を作り出す試みになればと思っている。


多和田葉子 Yoko Tawada

1960年東京生まれ。早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒、ハンブルグ大学修士課程、チューリッヒ大学博士課程修了。ハンブルグ在住。1991年『かかとを失くして』で第34回群像新人文学賞を受賞。1993年『犬婿入り』で第108回芥川賞を受賞、1994年にはハンブルグ市からレッシング奨励賞を、1996年にはバイエルン州芸術アカデミーからシャミッソー文学賞を授与される他、日独にて受賞多数。日本語とドイツ語の作家として旺盛な創作活動を展開している。http://www.tawada.com/


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